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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)8364号 判決

反訴原告

相原克己

ほか一名

被告

住本昌弘

主文

一  反訴被告は、反訴原告相原克己に対し、金二〇三万〇四二一円及びこれに対する昭和六一年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴被告は、反訴原告石川喜規に対し、金二一〇万四一一九円及びこれに対する昭和六一年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  反訴原告相原克己及び反訴原告石川喜規のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを六分し、その一を反訴被告の、その余を反訴原告らの負担とする。

五  この判決は、一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

1  反訴被告は、反訴原告相原克己(以下、「反訴原告相原」という。)に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  反訴被告は、反訴原告石川喜規(以下、「反訴原告石川」という。)に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、後退中の普通乗用自動車に衝突された駐車車両に乗車していた二名の者が、いずれも右衝突によつて負傷したとして、右普通乗用自動車の運転者兼所有者に対し、民法七〇九条及び自賠法三条に基づいて損害賠償を請求した事件である(なお、反訴原告らの前記請求額は、いずれもその主張する損害額の内金である。)。

一  争いのない事実

1  次のとおりの交通事故(以下、「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六一年一二月一九日午後八時五五分頃

(二) 場所 大阪府東大阪市南上小阪一二番三八号先路上(以下、「本件道路」という。)

(三) 加害車両 反訴被告が所有しかつ運転する普通乗用自動車(大阪五二り二〇七一号、以下、「反訴被告車」という。)

(四) 被害車両 反訴原告相原が運転席に、反訴原告石川が助手席にそれぞれ乗車していた普通乗用自動車(大阪五二ま八七六四号、以下、「反訴原告車」という。)

(五) 態様 反訴原告車が本件道路左端に駐車中、その前方より後進してきた反訴被告車が反訴原告車に衝突した。

2  本件事故により、反訴原告相原は外傷性頸部症候群等の、反訴原告石川は頸部捻挫等の傷害を受けた。

3  反訴被告には、反訴被告車の運行供用者として自賠法三条所定の責任があるほか、本件事故の発生につき反訴被告には後方不注視の過失があるから、民法七〇九条所定の不法行為責任がある。

4  反訴被告は、反訴原告相原に対し、本件事故による損害の填補として、合計金七八万〇一九〇円(うち、反訴原告相原の請求にかかる損害の填補に充てられたのは、治療費金四四万〇一二〇円と損害賠償内金二八万円の合計金七二万〇一二〇円で、その余は請求外の通院交通費等に充てられた。)を支払つた。

5  反訴被告は、反訴原告石川に対し、本件事故による損害の填補として、合計金五五万一三七〇円(うち、反訴原告石川の請求にかかる損害の填補に充てられたのは、治療費金四四万〇九二〇円と損害賠償内金五万円の合計金四九万〇九二〇円で、その余は請求外の通院交通費等に充てられた。)を支払つた。

二  争点

1  反訴原告相原の過失の有無。

反訴被告は、反訴原告相原は本件道路が反訴原告車の駐車に適当でなく、そのうえ、他の駐車車両と同様に道路と平行に駐車すべきであつたのに、斜めに突つ込んで駐車していたことから反訴被告車がバックした際に衝突してしまつたものであり、反訴原告相原に対しては、少なくとも二〇パーセントの過失相殺を行うべきである旨主張する。

2  本件事故に基づく反訴原告相原の受傷内容及び後遺障害の有無、内容。

(一) 反訴原告相原は、本件事故により次のとおりの内容の障害及び後遺障害を被つた旨主張する。

(1) 他覚的所見として、頸椎第四、五、六椎間の狭小が認められ、頸椎の運動制限が認められる。

(2) さらに、第四腰椎椎体の上方部分骨折が認められ、このため体幹前屈が二五度に制限され、体幹前屈時痛が現れる。

(3) 視力低下(両眼の視力が〇・六以下になつた。)。

(4) 左手の握力低下、軽度難聴、大後頭神経や頸腕神経叢の圧痛、頭痛、めまい、耳鳴、肩凝り、左上肢のしびれ、腰痛等。

そして、右各症状のうち(2)は後遺障害別等級表八級二号に、(3)は同九級一号に、その他は総合して同九級一〇号ないし一二級一二号に該当するというべきであると主張する。

(二) これに対して、反訴被告は、まず反訴原告相原の頸部症状には他覚的神経所見がなく、経過観察で十分な症状であつたし、腰部症状については、本件事故から二週間余り経過した後に突然発現しているもので、本件事故によるものではなく、その余の症状の本件事故に基づくものでない旨主張する。

3  本件事故に基づく反訴原告石川の受傷内容及び後遺障害の有無、内容。

(一) 反訴原告石川は、本件事故により次のとおりの内容の傷害及び後遺障害を被つた旨主張する。

(1) 右肩関節の可動域制限が著しい。

(2) 胸腰椎の可動域制限。

(3) 視力低下(両眼の矯正視力が〇・三になつた。)。

(4) 頸椎運動制限、頸椎椎間のずれ、後頸部痛、右手指のしびれ、右握力低下、両側耳鳴等。

そして、右各症状のうち(1)は後遺障害別等級表一〇級一〇号ないし一二級六号に、(2)は同八級二号に、(3)は同九級一号に、(4)は総合して同九級一〇号ないし一二級一二号に該当するというべきであると主張する。

(二) これに対して、反訴被告は、まず反訴原告石川の肩部や頸部の症状は反訴原告石川の私病である胸廓出口症候群に基づくものであつて、本件事故とは関係がなく、その余の症状も本件事故に基づくものではない旨主張する。

4  本件事故による反訴原告らの相当な治療及び休業期間。

5  損害額

第三争点に対する判断

一  争点1ないし4について。

1  事実

争点1ないし4に対する判断の前提として、本件事故態様、反訴原告らの症状及びこれらに対する治療の経過等についてみるに、前記争いのない事実及び証拠(甲一ないし三、甲四の一ないし一二、甲五の一、二、甲六、七、甲八の一、二、甲一二、一三、乙一、乙二の一ないし七、乙三の一ないし三、乙四の一ないし三、乙五の一ないし六、乙七の一ないし三、乙一一の一、二、乙一二の二、乙一三一ないし一五、乙一六の一、二、乙一七、一八、乙二四、二五、乙二九の一ないし四、乙三〇の一ないし四、検甲一ないし二一、検甲二二の一ないし一四、検甲二四の一ないし三二、検甲四三の一ないし一六、検甲四四の一ないし九、検甲四九の一ないし七、検甲五〇の一ないし二〇、検甲五〇の一ないし五、検甲五六の一ないし一一、検甲五七の一ないし一七、検甲五八の一ないし三五、検甲五九の一ないし一八、検甲六〇の一ないし一七、検甲六一の一ないし九、検甲六二の一ないし四、検甲六三の一ないし二五、検甲六四の一ないし一一、検甲六五の一ないし三〇、検甲六六の一ないし二四、検甲七〇の一ないし一二、検甲八二の一ないし一七、検甲八三の一ないし一三、検甲八四の一ないし二七、検甲八五の一ないし七、検甲八六の一ないし八、検甲八七の一ないし三、検甲八八の一ないし九、検甲八九の一ないし二四、検甲九〇の一ないし五、検甲九一の一ないし二四、検甲九二の一ないし五、検甲九三の一ないし一五、証人喜馬通博、反訴原告相原、反訴原告石川各本人(第一、二回))並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故の態様について。

(1) 本件事故現場付近の道路状況は別紙図面記載のとおりであり、本件道路は、市街地の中を東西に直線状に走るアスフアルト舗装のなされた歩車道の区別のない幅員約六メートルの平坦な道路で、本件事故当時路面は乾燥していた。また、本件事故当時は夜間であり、やや暗かつたが、付近には友愛寮の玄関灯や街灯があつた。なお、本件事故当時、本件道路には、駐車禁止等の交通規制はなされていなかつた。

本件事故地点は、本件道路の北側にある友愛寮(近畿大学の学生寮)の出入口前で本件道路北端から約二・四メートル南側の地点である。

(2) 反訴原告相原は、反訴原告車(車長三・九二メートル、車幅一・六六メートル)を運転して友愛寮に住む反訴原告石川に会いに行き、友愛寮の前の本件道路に車首を東に向けて駐車しようとしたが、本件道路の北側には連続して車両が駐車しており、友愛寮の出入口付近に約六・七メートルの間隔があいているだけであつた。そこで、反訴原告相原は、反訴原告石川とおちあつてすぐに出発するつもりであつたこともあり、反訴原告車を前記約六・七メートルの駐車車両の切れ目に駐車させることにし、車首を左前に向けたやや斜めの状態のまま友愛寮の出入口前の本件道路に駐車させたが、駐車した反訴原告車の後部の右側端は本件道路北端から約二・四メートル南側に位置していた(なお、反訴原告車の前(東側)の駐車車両の右側端は本件道路北端から約一・八メートル南側に位置しており、反訴原告車の右後部は、前車の右側端より約〇・六メートルはみだしていたことになる。)。

本件事故当時、本件道路の南側には駐車車両はなかつたが、本件事故地点の約五、六メートル西側には本件道路南寄りに三台位の自転車が置かれており、その北側端は、本件道路南端より約一・七メートル北側であつた。

(3) 反訴被告は、反訴被告車(車長三・九四メートル、車幅一・六二メートル)を運転し、本件事故地点の約三六・八メートル東側から、首を車窓から右側に出して右後方を見ながら、時速一七ないし一八キロメートルで西方向にバツクで進行していたが、本件事故地点において、反訴被告車左後角部を反訴原告車右側後部に衝突させた。なお、反訴被告は、右衝突するまで反訴原告車が少しはみ出して駐車していることや、反訴原告車との衝突の危険に気付かず、ブレーキ操作等は全くしていなかつた。

(4) 右衝突により、反訴原告車は約一メートル後方(西方)に引きずられるように移動し、他方反訴被告車は、本件事故後、本件事故地点の約三メートル西方に停止した。

また、右衝突の衝撃により、反訴原告車は、後部右バンパーがめくれ、右後タイヤハウス、クオーターパネル等が擦過凹損し、その修理見積額は、金一五万三〇〇〇円であつた。反訴被告車は後部左角バンパー、フエンダーが凹損した。

(二) 反訴原告らの受傷状況。

(1) 本件事故当時、反訴原告相原(昭和三六年一一月二六日生、本件事故当時二五歳)が反訴原告車の運転席に、反訴原告石川(昭和三七年一〇月七日生、本件事故当時二四歳)が助手席に乗車し、反訴原告相原はやや左斜め前を、反訴原告石川はやや右斜め前を向き、いずれもやや前かがみの姿勢で、車のルームランプの明かりで一緒にシヤンプーのパンフレツトを読んでいた。

(2) 反訴原告相原は、本件事故直前に反訴被告車のバツクする音は聞いていたが、衝突の危険を事前に感じないまま、本件事故による衝撃を受け、これによつて身体が前後に振られ、フロントガラスで正面前頭部を打撲した。

(3) 反訴原告石川も、本件事故直前に反訴被告車のバツクする音は聞いていたが、衝突の危険を事前に感じないまま、本件事故による衝撃を受け、これによつて身体が前後に振られ、センターピラーで後頭部を打撲した。

(三) 反訴原告相原の症状及びこれに対する治療の経過等。

(1) 反訴原告相原は、本件事故直後は少し頭が痛かつた程度で、当日河内総合病院を受診した際にも、頭痛のみ訴え、頸部痛、しびれ感、嘔気は訴えず、頭部のレントゲン写真上も異常は認められなかつた。

ところが、本件事故の翌日((昭和六一年一二月二〇日)から首が動かなくなり、動かすと痛いという状態になつたので、再度河内総合病院を受診し、検査を受けたところ、頸部レントゲン写真上、頸椎がフラツト(平坦)になり、サーモグラフイーで右手第二ないし五指の皮膚温低下が認められたが、神経学的異常は認められなかつた。そして、傷病名につき、頭部打撲、外傷性頸部症候群と診断され、ネツクカラーの装着を指示された。

(2) 反訴原告相原は、同日から喜馬病院に転医して通院治療を受け、同月二二日に行われた頸椎レントゲン検査では、第四、五頸椎のずれが認められ、同病院の担当医師は湿布及び投薬の処置をした。

その後反訴原告相原は、同年の年末まで頸部痛及び頸部の運動制限のみを訴えて、他の症状を訴えることはなかつた。

(3) ところが、翌昭和六二年の最初の受診日(同年一月五日)には、両上肢がしびれ、耳が聞こえにくくなつたと訴え、同月七日またはその前日あたりから、腰痛を訴えるようになつた。同病院の担当医師は、反訴原告相原が腰痛を訴えたことから、腰椎のレントゲン検査を行い、その結果、第五腰椎分離が認められた。そして、このころから、頸部、腰部の牽引(腰部牽引は約一週間で中止)、ホツトパツク、超音波、運動療法等による治療が開始された。

(4) その後も、主として頸部痛、腰部痛が持続し、それとともに、握力低下、手足のしびれなどの症状も現れたが、レントゲン検査において、頸椎に関しては、同月二六日、同年三月一六日、同年五月二五日のいずれの検査時にも、頸椎の不安定性、生理的弯曲の乱れが認められ、腰椎に関しては、第五腰椎分離のほか、同年七月以降に第四腰椎椎体の前上方部の骨折が認められた。

しかしながら、頸部症状に関しては、同年六月上旬ころから軽減し、それ以降ほとんど訴えなくなり、頸椎の可動域も、同年一月下旬ころには後屈一五度、右屈二〇度であつたのが、同年六月八日には、前屈五〇度、後屈四〇度、左右回旋各五〇度、左右屈各四〇度(なお、正常値とされるのは、前屈六〇度、後屈五〇度、左右回旋各七〇度、左右屈各五〇度である。)まで回復し、腰部痛も同年六月ころには一進一退の状態になつた。

(5) 喜馬病院の担当医師は、反訴原告相原の頸部、腰部の症状が右のような状態になつたことから、昭和六二年七月六日に至り、反訴原告相原は頭痛、めまい、首の運動が悪い、肩がこる、左上肢がときどきしびれる、握力低下(右二五、左二二キログラム)、運動時腰部激痛等の後遺障害を残して同月三日に症状が固定した旨診断した。

(6) 反訴原告相原は、同年七月ころまでに、頸部、腰部等の症状のほか、視力障害(矯正視力左右とも〇・六、軽度視野狭窄など)、難聴及び左耳鳴を訴えていたが、視力障害について、同年七月一七日に小早川眼科で診療を受けたところ、外傷性の視力障害かどうか判定できないと診断された(もつとも、反訴原告相原は平成元年一二月には、眼鏡もなしに車両を運転し、また本件事故後の免許更新時にも、免許の条件として眼鏡等を指定されなかつたものであることからすると、視力障害が実際に存在したかどうか自体疑わしい。)。難聴及び左耳鳴に関しては、昭和六二年七月七日に太平耳鼻咽喉科で診察を受けたところ、特記すべき他覚所見なしと診断された。

(7) 反訴原告相原は、前記のとおり平成元年一二月には、眼鏡もなしに車両を運転し、車両を後退させる時には運転席の窓から首を出して右後方を振り返るなどの動作をすることができるまでになつている。

(四) 反訴原告石川の症状及びこれに対する治療の経過等

(1) 反訴原告石川は、本件事故当日河内総合病院を受診したが、その際に、後頭部から頸部、肩甲部にかけての痛みを訴え、頸椎の可動域制限が認められた。三日後の昭和六一年一二月二二日に行われたレントゲン検査の結果、第三ないし五頸椎の生理的弯曲の乱れ、第四、五頸椎の不安定性が認められ、サーモグラフイーで頸部から肩にかけての皮膚温上昇が認められた。これに対して、医師は反訴原告石川に頸椎カラーの装着を指示した。

(2) 反訴原告石川は、同月二〇日からは喜馬病院においても投薬、湿布等による通院治療を受け、同年の年末までは主として前記症状を訴えていたが、翌昭和六二年一月に入ると、めまい、耳鳴、眼がかすむ、右上肢の挙上制限、左胸痛などの症状を訴え始めた。喜馬病院の担当医師は、反訴原告石川の右症状につき、当初からの診断名である頸部捻挫に加えて胸廓出口症候群であると診断した。

そして、同年一月下旬から、ホツトパツク、運動療法、牽引等による治療が開始され、同年三月三〇日からは鍼による治療も開始された(なお、反訴原告石川は、特に腰部症状は訴えず、腰部に関する治療は全くなされなかつた。)

(3) その後も、前記症状がやや軽減しながらも持続したが、レントゲン検査において、頸椎に関しては、同年二月一二日、同年六月一日のいずれの検査時にも、頸椎の不安定性、生理的弯曲の乱れが認められた。

(4) 喜馬病院の担当医師は、昭和六二年七月六日に至り、反訴原告石川は得るが、通常は何らかの訴えが出てくるものである。

(五) 反訴原告石川の症状について。

胸廓出口症候群とは、頸部から肩に経て上腕にかけて、斜角筋群と鎖骨、胸骨、第一肋骨との間に神経と血管が伴走するが、その部位で神経と血管が圧迫されるために生じる神経障害、血管障害等の症状の総称である。

反訴原告石川の症状の全部を頸椎の不安定性によつて説明することはできない。右肩の挙上制限は胸廓出口症候群によつて説明できる。

胸廓出口症候群は、先天的な肋骨の異常、斜角筋群と鎖骨、胸骨、第一肋骨との位置関係が悪い場合、斜角筋の異常緊張などによつて生じることが多いが、外傷によつて生じることもあり得る。しかし、反訴原告石川の胸廓出口症候群が本件事故によるものかどうかを断定することはできない。

反訴原告石川は不定愁訴が多く、症状固定後に働けるかどうかについては、かなり本人の気持ちの問題でもある。

頸椎の不安定性は、頸椎捻挫によつて起こる頸椎の支持組織や軟部組織の炎症もしくはその損傷によつて生じる。頸椎の不安定性はレントゲン写真上は頸椎のずれとして出てくる。これは、本来は受傷後ある時期を過ぎれば消えてしまうが、実際には三月、半年後も残ることはあり得る。

2  判断

以上の事実に基づいて、争点1ないし4について判断する。

(一) 争点1(反訴原告相原の過失の有無)について。

前記事実によれば、反訴原告相原は、反訴原告車の車首を左前に向けたやや斜めの状態のまま反訴原告車の右後部を、前車の右側端より約〇・六メートル本件道路の中央寄りにはみだして駐車させたものであり、右駐車態様自体は必ずしも適切なものであつたとはいい難いが、本件道路には駐車禁止規制がなされていなかつたこと、反訴原告車の右側端と本件道路南端との間には三・五メートル以上の間隔があつたこと、反訴原告車の右後部が前車の右側端より本件道路の中央寄りにはみだしていたのは約〇・六メートル程度にすぎなかつたこと、本件事故当時は夜間であり、やや暗かつたが、付近には玄関灯や街灯があり、反訴原告自体もルームランプを点灯しており、反訴被告において反訴原告の発見が困難であつたとは認められず、反訴被告において左後方を注視してさえいれば容易に避けえた事故であると考えられることなどを総合すると、反訴原告相原が反訴原告車を必ずしも適切とはいい難い態様で駐車させたことをもつて、賠償額を定めるにあたつて斟酌しなければ公平の理念に反する程度の過失と評価することはできない。

そうすると、この点に関する反訴被告の主張は理由がない。

(二) 争点2(本件事故に基づく反訴原告相原の受傷内容及び後遺障害の有無、内容)について。

(1) 反訴原告相原の頸部症状について。

前記認定の本件事故態様、衝撃の程度、衝突時の反訴原告相原の姿勢、防御体制ができていなかつたことなどからすると、本件事故後の反訴原告相原の頸部症状は、本件事故の衝撃による頸部の過伸展、過屈曲によつて頸椎の支持組織や軟部組織が損傷された結果生じたものと認めるのが相当である。

しかしながら、頸部症状は、昭和六二年六月上旬ころから軽減し、それ以降ほとんど訴えなくなり、頸椎の可動域も、同年一月下旬ころには後屈一五度、右屈二〇度であつたのが、同年六月八日には、前屈五〇度、後屈四〇度、左右回旋各五〇度、左右屈各四〇度と正常値に近い値にまで回復していることや平成元年一二月には、車両を後退させる時に運転席の窓から首を出して右後方を振り返るなどの動作をすることができるまでになつているからすると、反訴原告相原の症状が固定したと診断された昭和六二年七月三日には、頸部症状はほぼ治癒していたものと認めるのが相当であり、労働能力に影響を及ぼしたり、慰藉料によつて慰藉するのが相当な頸部の後遺障害が残つたとは認め難い。

(2) 反訴原告相原の腰部症状について。

第四腰椎椎体の前上方部の骨折が本件事故によるものか否かについて検討するに、前記のとおり、反訴原告相原は本件事故から二週間以上経過してはじめて腰部の症状を訴えたものであるところ、腰椎の骨折の場合、軽微なら寝ていれば我慢できることはあり得るが、通常は何らかの訴えが出てくるものであることに加え、本件事故は、時速一七ないし一八キロメートルの反訴被告車が停止中の反訴原告車に衝突したものであり、その態様も側面に斜め方向から力の加わつたもので、追突や正面衝突に比べれば衝撃は少ないと考えられ、担当医師も本件事故によつて、第四腰椎椎体の骨折が生じることは、一般常識的には考えがたいとの見解を述べていることを総合すると、反訴原告相原の腰部症状が本件事故によつて発生したとまで認めることはできない。

(3) その他、反訴原告相原主張の眼科的症状、耳鼻咽喉科的症状が本件事故によるものであることを認めるに足りる証拠はない。

(4) そうすると、本件事故と相当因果関係のあるものは、前記頸部症状のみであり、本件事故と相当因果関係のある後遺障害が発生したとは認め難い。

(三) 争点3(本件事故に基づく反訴原告石川の受傷内容及び後遺障害の有無、内容)について。

(1) 前記認定の本件事故態様、衝撃の程度、衝突時の反訴原告相原の姿勢、防御体制ができていなかつたことなどからすると、本件事故の衝撃は反訴原告石川の頸部に過伸展、過屈曲をもたらし、これによつて頸椎の支持組織や軟部組織を損傷させるに十分なものであつたと考えられ、反訴原告石川の頸椎の不安定性等の頸部の他覚的所見は、本件事故によつて生じたものと認めるのが相当である。

そこで、次に、頸部に後遺障害が残つたか否かについて検討するに、反訴原告石川は、前記のとおり平成二年一月には、ゴルフ練習場におもむいて、頸部や腰部を大きく回旋させながらゴルフクラブを振つてゴルフボールを打つたりしており、遅くともこのころまでに、労働能力に影響を及ぼしたり、慰藉料によつて慰藉するのが相当な頸部の後遺障害が残つていたとは認め難いうえ、本件事故に基づく頸部の支持組織や軟部組織の炎症もしくはその損傷によつて生じる頸椎の不安定性は、三月ないし半年後も残ることはあり得るが、通常は受傷後ある時期を過ぎれば消えてしまうものであり、むしろ、一定期間経過後の反訴原告石川の頸部神経症状は胸廓出口症候群とも考えられ、この胸廓出口症候群については、本件事故によるものか否か断定できないというべきであるから、仮に、平成二年一月ごろ以前まで頸部痛等の後遺障害が残つていたとしても、これが本件事故によるものとは断定できない。

(2) 反訴原告石川の肩関節の症状について。

前記のとおり平成二年一月には、ゴルフ練習場におもむいて、頸部や腰部を大きく回旋させながらゴルフクラブを振つてゴルフボールを打つたり、右手を高く挙上してゴルフクラブを持つたりしていることからすると、遅くともこのころまでに、労働能力に影響を及ぼしたり、慰藉料によつて慰藉するのが相当な肩関節部の後遺障害が残つていたとは認め難いうえ、右肩の挙上制限は胸廓出口症候群によつて説明できるとされていることからすると、反訴原告石川の肩関節の症状自体本件事故に基づくものかどうか疑問であり、これが本件事故によるものと認めるに足りる証拠がない。

(3) 反訴原告石川主張の胸腰部の症状(前屈制限等)、眼科的症状、耳鼻咽喉科的症状が本件事故によつて発生したことを認めるに足りる証拠はない。

(四) 争点4(本件事故による反訴原告らの相当な治療及び休業期間)について。

前記認定事実によれば、本件事故による反訴原告らの相当な治療及び休業期間については、いずれの反訴原告に関しても、喜馬病院の担当医師がそれぞれ症状が固定した旨診断した昭和六二年七月三日までと認めるのが相当であり、反訴原告らの相当な治療及び休業期間が右時点より以前に経過していることや、右時点以後まで治療及び休業を要したことを認めるに足りる証拠はない。

二  争点5(損害額)について。

1  反訴原告相原の損害額

(一) 治療費(反訴原告主張額金一〇八万〇〇八〇円) 金一〇八万〇〇八〇円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係にある治療期間は本件事故当日の昭和六一年一二月一九日から昭和六二年七月三日までであり、その間の治療費は、証拠(甲一三、乙六の一ないし三、乙二九の一ないし四)によれば、合計金一〇八万〇〇八〇円であることがみとめられる(なお、反訴原告相原は本件事故と相当因果関係の認められない腰部症状の治療も受けていたものであるが、腰部症状のみに対する治療方法が施されたことを認めるに足りる証拠もないので、賠償すべき治療費を減額するのは相当でない。)

(二) 休業損害(反訴原告主張額金一〇七万二五〇〇円) 金一〇七万〇四六一円

前記事実によれば、本件事故と相当因果関係にある休業期間は本件事故日の翌日である昭和六一年一二月二〇日から昭和六二年七月三日までの一九六日間であるところ、証拠(乙八の一ないし三、反訴原告相原本人(第一回))によれば、反訴原告相原は本件事故当時、「三光縫製」に勤務し、本件事故前三月(九一日)間に、金四九万七〇〇〇円の給与を得ていたことが認められるので、本件事故と相当因果関係のある休業損害額は、次のとおり金一〇七万〇四六一円(円未満切捨て。以下同じ。)となる。

四九万七〇〇〇÷九一×一九六=一〇七万〇四六一

(三) 後遺障害による逸失利益(反訴原告主張額金一九八三万三〇六三円) 〇円

前記のとおり、反訴原告相原に労働能力に影響を及ぼすような後遺障害が残つたとは認めがたいのであるから、反訴原告相原に本件事故と相当因果関係に立つ後遺障害による逸失利益が生じたとは認めがたい。

(四) 慰藉料(反訴原告主張額金六七四万円) 金六〇万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて受けた反訴原告相原の肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料としては、金六〇万円が相当である。

(五) 損害の填補

以上の反訴原告相原の損害額は、合計金二七五万〇五四一円となるところ、反訴被告が、反訴原告相原に対し、本件事故による損害の填補として、合計金七八万〇一九〇円(うち、反訴原告相原の請求にかかる損害の填補に充てられたのは、治療費四四万〇一二〇円と損害賠償内金二八万円の合計金七二万〇一二〇円で、その余は請求外の通院交通費等に充てられた。)を支払つたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、反訴原告相原の残損害額は、金二七五万〇五四一円から反訴原告相原の請求にかかる損害の填補に充てられた金七二万〇一二〇円を控除した金二〇三万〇四二一円となる。

2  反訴原告石川の損害額

(一) 治療費(反訴原告主張額金一一七万一七二〇円) 金一一七万一七二〇円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係にある治療期間は本件事故当日の昭和六一年一二月一九日から昭和六二年七月三日までであり、その間の治療費は、証拠(甲一二、乙三の一ないし三、乙三〇の一ないし四)によれば、合計金一一七万一七二〇円であることがみとめられる(なお、反訴原告相原は本件事故と相当因果関係の認められない肩関節部等症状の治療も受けていたものであるが、肩関節部等症状の治療も受けていたものであるが、肩関節部等の症状のみに対する治療方法が施されたことを認めるに足りる証拠もないので、賠償すべき治療費を減額するのは相当でない。)。

(二) 休業損害(反訴原告主張額金一二三万五〇〇〇円) 金八二万三三九九円

前記事実によれば、本件事故と相当因果関係にある休業期間は本件事故日の翌日である昭和六一年一二月二〇日から昭和六二年七月三日までの一九六日間であるところ、証拠(乙一九の一ないし八、反訴原告石川本人(第一回))によれば、反訴原告石川は本件事故の約三月前まで喫茶店「カブンスウ」に勤務し、一月平均約金一八万六〇四五円の給与を得ていたが、それ以後は自ら喫茶店を開業しようと考え、開店資金約七〇〇万円を貯金したうえ、開店準備のために勤務をやめていたことが認められ、右事実によれば、前記期間中、「カブンスウ」に勤務していた当時と同程度の収入をあげ得たとまでは認められないが、少なくともその当時の給与の七割に相当する収入をあげ得たと認めるのが相当である。そうすると、本件事故と相当因果関係のある休業損害額は、次のとおり金八二万三三九九円となる。

一八万六〇四五÷三一×一九六×〇・七=八二万三三九九

(三) 後遺障害による逸失利益(反訴原告主張額金二三一九万八八八六円) 〇円

前記のとおり、反訴原告石川に労働能力に影響を及ぼすような後遺障害が残つたとは認めがたいのであるから、反訴原告石川に本件事故と相当因果関係に立つ後遺障害による逸失利益が生じたとは認めがたい。

(四) 慰藉料(反訴原告主張額金六七四万円) 金六〇万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて受けた反訴原告石川の肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料としては、金六〇万円が相当である。

(五) 損害の填補

以上の反訴原告石川の損害額は、合計金二五九万五一一九円となるところ、反訴被告が、反訴原告石川に対し、本件事故による損害の填補として、合計金五五万一三七〇円(うち、反訴原告石川の請求にかかる損害の填補に充てられたのは、治療費四四万〇九二〇円と損害賠償内金五万円の合計金四九万〇九二〇円で、その余は請求外の交通費等に充てられた。)を支払つたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、反訴原告石川の残損害額は、金二五九万五一一九円から反訴原告石川の請求にかかる損害の填補に充てられた金四九万〇九二〇円を控除した金二一〇万四一一九円となる。

三  以上のとおりであつて、反訴原告相原の本訴請求は、金二〇三万〇四二一円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六一年一二月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、反訴原告石川の本訴請求は、金二一〇万四一一九円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六一年一二月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、反訴原告相原及び反訴原告石川のその余の請求は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 本多俊雄)

別紙 〈省略〉

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